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秋田県潟上市、道の駅しょうわ ブルーメッセあきた 入口正面に建立された   石川理紀之助翁立像

石川 理紀之助(いしかわ りきのすけ、1845年4月1日〈弘化2年2月25日〉 - 1915年〈大正4年〉9月8日)は、秋田県潟上市の篤農家、明治から大正期の農業指導者[1]。秋田県種苗交換会の先覚者。生涯を農村の更生、農家の救済、農業の振興のために捧げた。

ウィキペディア(Wikipedia)より 石川理紀之助

聖農 石川理紀之助とは

石川理紀之助は明治時代の農村指導者で、生涯を貧農救済に捧げた人物です。
弘化2年(1845年)に小泉村(現在の秋田市金足小泉)の農家に生まれました。
21歳の時に山田村(現在の潟上市昭和豊川山田)の地主石川家に婿養子に入り、傾いた石川家を回復させます。その後、卓越した農業知識を請われ県の農業行政に従事します。以来、米質改善指導、種子交換会(現在の種苗交換会)の創設、歴観農話連の結成など地域に即した農業指導に努めました。

明治16年に辞職して山田村に帰村。家業に専念するとともに、村民と山田村経済会を組織し農業の効率的経営を奨め、5年で村の借金をすべて返済しました。そのため、一躍話題となり農商務省や山梨県、千葉県等で講演しています。

明治29年に農村の土地や土壌などの総合調査ともいえる「適産調」を手がけ、この調査をもとに各地の農村の指導にあたり実績をあげています。

晩年になっても農村指導に対する情熱は衰えず、宮崎県谷頭(現在の宮崎県山田町)や県内を巡回しています。しかし、仙北郡九升田(現在の大仙市九升田)の建て直しを終えたのを最後に大正4年9月8日、71歳で尚庵にて永眠しました。

理紀之助は農業の発展に尽力しながら、かたわらでは和歌を詠むことも日課とし、「貞直」の歌号をもって各地の歌人と交流を持つ一流の文化人でした。

潟上市ホームページより 秋田県指定史跡石川理紀之助遺跡


地区大会の御礼と地区大会写真集

このたび秋田市で開催させて頂きました地区大会に際しまして、ご多忙中にもかかわらず、ご臨席賜り心より厚く御礼申し上げます。
おかげさまをもちまして、大会は会員400名と一般参加者120名、計520名の皆様がご参集くださり、2日間に亘るプログラムを無事に終了することができました。
また、ポリオ撲滅等募金も241,423円のご芳志が寄せられました。これもひとえにロータリアンの友情の賜物であります。

今後ともロータリー活動に対し、ご理解ならびにご協力のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

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